みなさんこんにちは。快眠デザイン研究所の古泉です。
最近ふと考えることがあります。
どういう状態になったら人は「子供から大人」になるのでしょう?
最近思ったことでした(遅っ!)
では、大人になって得たものってなんでしょう?そして、失ったものってなんでしょう?
今日はいつまでたっても大人になれない私がネットサーフィンして(あまり使わなくなったね)見つけたプライベートブログです。
参考:宛名のないメールというサイトから
大人になって得たもの
・その分野の専門知識
忍耐
この気持ちよくわかります(笑)。子供の頃は好きなものは好き、嫌いなものは嫌いってはっきり言えていたのが、大人になって社会に入ると、それが言えなくなる。
その対価が生活するためのお金だけだとしたらなんとなく淋しい。
その分野の専門知識
これもよくわかりますよね。商売していると「他店との差別化が大事だ!」といって、消費者が望んでもいないというか、付加価値のつけ方を間違う原因ともなりますよね。
例えば、野球のボールでよく飛ぶボールとあまり飛ばないボールの違いが何かって、どれぐらいの人が知っているのでしょう?
プロ野球選手や、野球一筋でやっている方などは知っているかもしれません。
人によっては、飛ぶ、飛ばないの理論は「付加価値にならない」のかもしれません。
でも、僕はただ単に「ボールをカッキーンと打ちたいだけなんです」みたいなね。
逆に失ったもの
・自分の信念
労働時間に自分の時間を食いつぶされている
ということなんでしょうか。
確かに労働していると自分の時間を切り売りしているところもあるので、自分に使える時間も少なくなるでしょう。
でも、時間が有り余った生活も実際はすごくストレスになるような気がする。
入院とかの経験がある人は、入院している時って何もしなくていい時間が流れるけど、なんだかな〜みたいな気持ちになりますよね。
人間って不思議な生き物。
自分の信念
これ、非常に難しい問題ですよね。
信念を無くして言われた通りに行動している人もいますし、信念持って仕事に取り組んでいる人もいますしね。
営業に来る人などでもわかりやすい人がいます。
「安いから買ってくれ」という人と「御社にとってこんなメリットがあるから買ってくれ」という人。
自分の立場からなのか、相手の立場なのかに分かれるところですね。
結局大人になっても、真実は見えないかもしれない
世の中、理不尽なこともたくさんあって、それがまかり通っていることも大人になったらなんとなく理解できるようになってしまいました。
大人になって人の意見に振り回されちゃいけないけど、人の意見は聞かなきゃって思うようにもなりました。
大人になるほど「できない理由」を自分で増やしているようになったなと情けなくなる自分もいます。
小さい時は危ないものでも、好奇心で触れていたのに、大人になると「危ないものかもしれない」って最初から触らなくなってしまいました。
斎藤一人さんだったと思いますが、「やってない人がやれない理由を話す時は理路整然としてそうだと思っちゃうんだよ。その人やったこともないのに」みたいなことを話されていて妙に納得しました。
独立するときに「やめたほうがいいよ」と言ってくれたのは独立していない人たちでした。
「やったほうがいいよ」と言ってくれたのは独立している人たちでした。
この世は不思議なことばかりかもしれません。
自分を信じて、人の意見を聞いて、自分で考えることをもっとしなきゃなと思う44歳の私のつぶやきでした。
ではまた。